世界一てきとーに投資するブログ

投資をいい加減な気持ちでやっていきます。その記録です。

何故人に「死ね」と言ってはいけないのか、そのリスクについて

 人に「死ね」と言ってはいけません。言う人は言うんでしょうが、軽々しく言う人はおそらくそのリスクの強さが正確に計れていない人可能性が高いです*1

 道徳的なお話だけではなくそのリスクを大まかに書いていこうと思います。私がぱっと思いうかんだのが以下の点です。

 

  • 人を傷つけるから
  • 訴訟リスクがあるから
  • 言った場合の影響が計れないから

 

人を傷つけるから

 どうとくの時間でやるのかどうかは知りませんが個人的には小学生時代で卒業してほしい内容です。

 「死ね」という言葉は人を傷つけます。

 それは人によって様々に受け取り方は違います。まともに受け取る人、相手が悪いと流す人、気が狂ってるって嘲笑って対応する人、気にしないようにしようと思い込む人。「死ね」とどこまで深く広く接してきたかにもよるでしょう。子どもの内は接している世界が狭くその影響を受けやすいですし、大人になると世界には色んな人がいると知り、そういう人もいるんだなと流すようになる人も多いです。傷つき方は人によって様々ですが、それでも確実に傷つきます。

 何故なら「死ね」は人の存在をまるごと否定する言葉です。自分が生まれて生きてきた人生、背景、そこにあることも全て丸っとたった2文字で表現する言葉です。

 使わないで生きましょう。相手を酷い言葉で傷つけたところでメリットは極小ですよ。一回悦に入るくらいです。

 

 相手の存在や価値を否定する言葉を放つリスクは様々です。自分にとって都合の悪い言葉を封殺したいと思ってもどうしても気にくわない相手でも基本的に言ってはいけません。(深い関係性を築いていてその意味が冗談として通じる場合は別です)

 どうしても殺意が沸いて使いたい場合はあらゆることを考慮して使うべきでしょう。以下に考慮すべき点を書いています。

 

訴訟リスクがあるから

 SNSをBAN(アカウントを強制停止させられること)されるくらいならまあいいですが、訴えられる場合があります。悪質性が認められたら訴訟可能です。

 

ネット上で「死ね」書き込みは、「殺害予告」に当たらない?微妙な表現の差が判決を左右 | ビジネスジャーナル

 

 上記の記事が殺害予告じゃないから安いですが被告に対して「33万円」の支払い命令が出ています。当然相手には住所もバレるし、ニュースもこうやって出ますよね。当然のことですが、相手に対して生きていること自体を否定するを吐いておいて軽い気持ちでやったなんてのは通じません

 とはいえある人が言うには普通の人は訴訟しないらしいですが、例えば言った先がたまたま誹謗中傷・暴言などの訴訟を研究して訴訟の手順を確立させたいとか、普通じゃなった場合とか、子どもが不登校になったとか、様々な人からも次々と罵倒を受けてていい加減死にたくなってきたとか様々な可能性がありますよね。

 様々な人からの誹謗中傷行為で被害を受け続けた有名な事件としてスマイリーキクチさん件等があります。

 

スマイリーキクチ中傷被害事件 - Wikipedia

 

「他の人は何度もやっているのに、なぜ一度しかやっていない自分が捕まるのか」と被害者意識をあらわにした

 

 被害者は暴言や誹謗中傷に傷つけられた人です。酷い暴言や誹謗中傷などを行ってきておいて他人のせいにするのはやめましょうね。

 

言った場合の影響が計れないから

 例えば軽々しく「死ね」と使った場合を考えます。その相手がたまたま死んだとしましょう。交通事故や他の事故にあった場合は罪の意識もそれほどではないかもしれませんが、ネット上の罵倒が辛くなって自殺とかされた場合は発言者は殺人の一端を担ったことになります。法上では強く罰せられないでしょう。でも発言者の罪悪感はどんどん増していきます。発言した側は自分が悪くないと強く思い込むか、自分が殺したとして罪悪感のままに生涯を送ることになるかもしれません。また自殺した相手の親族や親しい友人からは酷く憎まれることになるでしょう。

 言った先がどんな状況なのかはわかりません。ネット上だと特にです。ネット上の顔は人の一面でしかありません。自信満々な相手だって、明るい相手だって、ふてぶてしい相手だって、死にそうに見えない人がいきなり死んだり、殺されたりします。

 前述のとおり「死ね」と言われた人には様々な状況があります。逆に恨みを募らせる場合もあるでしょう。言われた人が「死ね」と思う場合もありますよね。軽々しくいった言葉を深く受け取った場合には発言者が想定していないほどの殺意を抱かれる可能性だって否定できません。「死ね」は人の存在をまるごと否定する言葉だからです。発言者の吐いた言葉はどんな形で返ってくるのかは分からないのです。強い否定の言葉であればあるほど人に与える言葉の影響度が深く強くなります。

 もしもの時に自分に非がある状況を作らないのが大切です。法的にも心理的にも。

最後に

 これらの罵倒言葉などを吐きたいような気分になっていると、冷静な判断や相手の話を聞くのが難しくなります。というのも「死ね」と軽々しく使ってる場合は相手を理解することを放棄して見下しているから使われる場合が多いからです。

 悪い奴を叩けと煽るように先導する人がいます。その人(人に限らずメディアなども)は自分の影響力を利用して対象の悪い印象だけ取り上げて記事にして悪感情を操作します。それに煽られて相手を悪い奴判定して見下して安易に暴言を吐いてはいけません。悪い奴を成敗するという状況は恐ろしいほどの麻薬的な中毒性を発します。そしてエスカレートしていきます。悪い奴は傷つけてもいい、悪い奴をどんな扱いをしてもいい、とです。安易な暴言は対象者のみならず発言者の名誉と心を傷つけます。

 

 それでもどうしても自分の「死ね」という言葉が消えない場合は、カウンセリングに頼りましょう。今は対面でなくとも、電話カウンセリングやメールカウンセリング等もあります。あなたの殺意はあなたにとっては大切なものなんでしょう。話を聞いてもらって第三者の視点を視点を借りたら違う発露の仕方があるかもしれません。

 

*1:リスクがあっても言いたい人は勝手にしてください。私に向かってきた場合は然るべき処置を取ります